1954-04-16 第19回国会 参議院 文部委員会 第22号
勿論何か天野勅語なんということを言われたこともありますが、その天野さんでも前田多門前文相でもこの法案に反対しております。それは罪が大きくて影響は大きい。日本の学界を、教育界を萎縮せしめる罪が大きいということを言つておる。
勿論何か天野勅語なんということを言われたこともありますが、その天野さんでも前田多門前文相でもこの法案に反対しております。それは罪が大きくて影響は大きい。日本の学界を、教育界を萎縮せしめる罪が大きいということを言つておる。
これに対しまして天野勅語や漢文の必修によつて背骨を通そうなどということは、まさに木に登つて魚を求めんとする愚に等しいことでございます。以上は戰後国内に累積された青少年を取巻く惡環境でございますが、ここで忘れてはならないことは、占領軍の駐留以後新たに惹起されました諸問題であります。
然るに、教育の面におきましては君が代の復活を図つたり、いわゆる天野勅語等に見られまするところの、古いドイツ古典哲学かぶれの天野貞砧氏によつて日本の教育が指導され、(「そうだ」と呼ぶ者あり、拍手)この地方行政が相変らず古いドイツ式の、ドイツかぶれの旧内務省の官僚によつて指導されておりまする限りは、日本の民主主義は絶対に成長することはできないのであります。
(拍手)天野文部大臣は、国民道徳実践要領なるいわゆる天野勅語を近く制定されると聞いておりますが、(笑声)正義と道徳の範を示すべきところのみずからの役所から醜悪極まる汚職の火の手が上るということは、一体何たる矛盾撞着でありましよう。これでは百の道徳実践要領をお出しになつても、恐らく一つの成果をも期待し得ないのではないでしようか。
或る論説あたりを読みますというと、これは結局国民には天野勅語として受取られるであろうというふうなことを言つておられますが、大臣が如何に善意を以てこれを出されようとも、国民大衆にこれが如何に受取られるかということが私は問題だと思うのです。如何に影響し、如何に受取られるかという角度から私は考えなくちやならん問題だと、こういうふうに思うわけです。